原田芳雄が死んでしまった。学生の頃見た「龍馬暗殺」はそれ以来自分の中では、No1映画であり続けているし、「祭りの準備」のチンピラ役は身勝手さとやさしさが混在していて、悲しいけれども心地よい不思議な気分が新鮮だった。三船敏郎、松田優作と男性的な有り様を表現する役者は徐々にいなくなってしまう。
最近、テレビに出てくるというと女装家とか、中性的な表現をするタレントばかりである。マッチョタイプが出てきても、話し言葉はオネエ言葉だったりして、男らしさは必ずしも肉体的なことではない。
時代の混乱期、成長期には「男は黙って」的な強い行動力やリーダーシップが中心だが、時代が成熟してくると双方向的なコミュニケーションが重視されていく。なでしこジャパンの選手が監督のことを「上から目線でなく、仲間のようで女子向きだ」といっていたが、女性的なコミュニケーションとはあくまでも水平で、命令ではなく、合意が重視される。
理念を持って引っ張っていこうというリーダーシップは、ひとつひとつの行動まで指示し、統制していく軍隊型の意思伝達になるが、成熟期にると目標だけを共有し、後は仲間として相互コミュニケーションを図り、合意しながら、組織として行動していくネットワーク型になっていく。そんなときに寡黙だったり、偉そうに振る舞っていても浮いてしまうだけで誰もついてこない。
今の日本の政治の混迷は混乱期で軍隊的な意思伝達が必要とされながら、政治的意思決定が女性的な仲間内コミュニケーションで行われている点にあると思う。仲間内コミュニケーションでは、その時々に気の合う仲間がグループを作るが、ちょっと気に入らないことかあると仲間割れが起こったり、感覚的なレベルでグループ間対立をしていたりする。
マーケティング的にも、必要とされるのは消費者との仲間的なコミュケーションであり、コミュケーションの苦手な男性でさえも、「ツイッターだ」や「フェイスブックだ」と修行のようにコミュニケーションに駆り出されていく。
昔のマーケティングは、マス広告大量出向にシェア競争にと戦争型のモデルだったが、今のマーケティングは消費者との対話重視、オンリーワン重視で、恋愛型マーケティングと言われる。マーケティングの打ち合わせは、女性言葉で話した方がうまくいくかもしれない。
原田芳雄的ダンディズムはすでに昭和的なノスタルジーの中にしか存在しない。原田芳雄の死は、この国の男的なものの一つのモデルの喪失を象徴している。
2018/10/26 09:25
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