戦略無き戦闘の怖さ

2011/08/12 18:21

もうじきお盆である。

この時期になるとテレビではよく戦争関係の番組が増える。先日もNHKスペシャルの夜半の再放送で、ジェット特攻機の「桜花」のことや、「原爆投下を5時間前に把握しながら、攻撃指示も避難指示すらも出さなかった司令部」というような内容をやっていた。

日本軍の戦略的な失敗については、いろいろと研究されているが、私は本質的には現場の「戦闘」が「戦略」を上まわることが出来るという幻想にとりつかれた結果だと思う。戦略的にまったく不利な状況に置かれながら、たまたま勝利を収めることがあると、それが英雄として称えられて、「やればできるのだから、できないのは現場が悪い」という理屈がまかり通るようになる。戦略的に圧倒的な差がある場合でも、局地的な勝利の確率はゼロになるわけではない。それはもちろん現場のがんばりと出現率の少ない好条件がたまたま重なることでできる。

戦略的なレベルが全体に低い場合は、現場での戦闘レベルの高さが勝負の鍵になるが、戦略的なレベルが高くなるほど現場で勝てる確率は低下する。このことは対象としている業界の発展段階が、どの程度に達しているかを見極めることが重要であることを示唆している。

新たに誕生した業界の場合、その成長の原動力はシンプルな戦略と、高い実行力と速さを持った現場で支えられる。しかし、業界全体が成熟し、まして全体のパイが縮小するような段階に入ると、戦略は高度化、複雑化し、よりきめ細やかな戦略対応と戦術、戦闘の連携で差別化が進むことになる、この20年間における携帯電話業界の動きがモデルとしては考えやすい。

日本人のメンタリティは不思議なもので、現場にいるときは献身的にがんばるが、権力者になるほど、保身に走る傾向がある。震災の対応等はその典型だろう。日本軍もどんなに上層部が間違った判断をしても、誰も責任を追求しなかったし、自ら取りもしなかった。そもそも国のことは将軍様や天皇が決めることだからと思考停止している。だから議論の必要がないし、雰囲気で結論を探す。議論がないので、戦略的にはいつまでも曖昧なままで、とりあえず後は現場ががんばれということになる。もちろん日本には戦略的に優れた会社も多いだろうが、こういう現象は大手だろうが、零細だろうがいたるところで起きている。

マーケティングの役割のひとつとして、他社と自社の戦略的な格差を見極めるということを意図的にやっていく必要があると感じている。しかし、企業の戦略はその企業の文化そのものと大きく関わっていて、「戦略的に差があります」と指摘したところで、すぐに戦略の見直しが始まるわけでもない。戦略的格差というマクロ的な目線と、戦術・戦闘場面での勝利が何によってもたらされているかというミクロの視点を両方提示しながら、戦略志向性という文化を徐々に定着させていくことが必要なのだろう。


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