ヒーローは何故死なないか?

2011/09/29 20:11

しばらく前のことだが、深夜にテレビをつけっぱなしにして軽めの仕事をしていると若い女の子の諜報部員がいろいろな危機的状況に置かれながら、それを次々と突破していくというような韓国映画をやっていた。(題名もストリーもよく覚えていないが)そのさして意味も無いような映画を見ながら、どうしてヒーロー(この場合はヒロインだが)が死なないのかがわかったような気がした。(映画だから当たり前といえばそれまでだが)

彼女は絶対絶命という状況におかれながら、そこに恐れとか、躊躇とかそういう雑念を感じることなく、ただ今置かれている状況を突破することに完全に集中しきっていたのである。凡人の場合、このような状況になると死ぬかもしれないという恐れで固まってしまって、実力すら発揮することなく、チャンバラ映画の切られ役みたいにあえなくエンドを迎えるが、ヒーローというのはまず「ダメかもしれない」というような想定をすることがない。置かれた状況下で、自分の能力の最大限、持っているもののすべてを総動員して、ただ、その状況を突破することのみに集中していくのである。だから彼女の表情は、危機的な状況下であるにも拘わらず、まったく無表情でがんばっている感じすらしない。

動物的直感の持ち主といえば長嶋茂雄だろうが、こういう人たちは今ある状況の中にストンと入りこんでしまうから、自意識すらなくなっていく。

人間もその昔、草原で毎日、命の危険性を感じているころは、きっとこんなタイプが多かったのではないだろうか。

人は繊細な感情があるから、人間として豊かになるとか、まあ繊細であることのよさもあるが、そういうタイプは危機には弱い。できるだけ安全な方へ行こうとするから、ますます危機への対応能力が劣化していく。

では、凡人が少しでもそのような達人の境地に近づくためには、どうしたらいいのだろうか。ありきたりの答えとしては「許容範囲のリスクを想定して、それを超える場合はひたすら逃げる」ことになるが、この想定したリスク水準が低すぎるとやれることはかなり限定されてしまう。

マーケティングにしても同じ事である。新規事業や新商品の危機は何度も訪れる。だが安全策を採ろうとすると投資が中途半端になって、かえって失敗の確率が高くなる。全力を投入している事業、商品だけが競争から抜け出てくる。

我々の日常では絶対絶命の危機ということはそれほどないが、日々の仕事の中で自分の経験値を超えているようなことには、それなりに出くわしていく。そういう時には、この「ヒーローの状況集中力」という境地に少々無理矢理にでも自分を置いて、恐れることなく、向かっていく事である。


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